2007年03月07日

地域の交通事情

本日は私のお仕事に関することです。
宮崎県の旅客交通事業といえば、「宮崎県観光の父」である岩切章太郎氏により、1926年4月22日に設立された皆様よ~くご存知の宮崎交通です。宮崎県内に広く一般路線網を有し、県内には同等規模の同業会社は存在せず、ほほ独占企業の状態ですねぇ。
昭和30年代から40年代にかけての新婚旅行ブームので、中核企業として発展いたしました。

当時バスガイドさんは紺色の制服に、白い大きな襟(OGから聞いたんですがあれは付け襟で、とても硬くてうなじが痛かったと!)頭にはちょこんと帽子をかぶっていました。
忘れてならないのが、車の誘導に使う笛にはソテツの実で作ったお猿さんの鈴。青島に行った時には必ずお土産に買って帰りましたねぇ。今でもあるのかな?

あっ、そういえばこの前草千里にきてた

あっ、そういえばこの前草千里にきてた宮交のバスのガイドさんが、当時の制服でいたんですよ。
一時期は制服がスチュワーデス(現在はキャビンアテンダントと称す 何がどう違うのか欧米かっ!)の制服みたいなやつでしたね。
でも何年前からか覚えてませんが、あの昔の制服に戻ったんですねぇニコニコ
「やっぱ宮交らしくてあの制服がいいよねぇ~」なんてお客さんと・・・・・・・・・(別に制服フェチじゃないんですけど)  *注 お客さんに宮交バスガイドOGさんが2名いたんですよ! 懐かしく見てました。
画像無くてすみません。ダウン

えっ!なんか話が違ってきましたね。

話を戻すと、ホンでもって、宮崎交通さんも収支が悪化し、産業再生機構の支援を受けることになりました。その過程で、赤字路線の廃止がゾクゾクト出てきたわけですね。
そんなかの路線をウチの会社が引き受けて、平成15年から運行しているわけです。
当然赤字路線だったものを引き継いでいるので、黒字になんかなろうはずがありませんが。

現実一日3便のバスに乗車するお客さんは、通学する学生さんと交通手段のないお年寄りの方が病院に行かれるくらいですので、運賃収入も僅かですワナ。行政の支援を受けながらの運行ですが、今から先ますます減額されるようになるんでしょうね。

そんなこと思いながら、終点のバス停にある記念碑をカメラ
地域の交通事情地域の交通事情
写真では分かりづらいですが、昭和35年8月1日に路線バスが開通したようです。




でもでも、こんな田舎の路線バスでも必要としている交通弱者がいるんです。たとえ一人しか乗らない日があろうとも。


なんか今日は何書いてるのか分からなくなりました。ゴメンナサイ
最後まで読まれた方ご苦労様でした。

とりあえずこれで UPします。

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Posted by グージー at 21:45 │オヤジのひとり言
この記事へのコメント
制服の話に惹かれますが、言いたいことはよくわかります。私もド田舎者ですから、赤字路線でも、それがないとほんっとに困る方がいるのが実感できます。お金で量れないものの価値をもっと考えたいですよね。
Posted by @焼きあじ at 2007年03月07日 22:12

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